金曜日(9/16)

今日は荒井先生が所用のため、指導を代わりました。
昨日、体験してくれた子が、早速、入会して今日から仲間入り。楽しく稽古をしました。二回目にも関わらず、元気よく号令もかけてくれました。
此れから道場の仲間とたくさんの経験を共有できたら嬉しいです。
少年部の子も今日は型もやり、スパーリングもやりと盛りだくさんの稽古をしました。
今のテーマは強い突きが出せる事と少し位叩かれても、我慢できる事です。対人稽古が始まる前に先ずは自分とのスパーリングをしてもらいます。
これは自分で自分の胸やお腹を叩く事で我慢できる事を認識してもらいます。もちろん自分でやるのでいくらでも加減ができます。そのなかでどれだけ自分に厳しくできるか?そこが稽古です。そのあと実際に対人で稽古をするとかなり頑張れます。実際、皆かなり強くなりました。
普段、道場では稽古はもちろん真剣にやりますが、稽古の前後はのびのびと子どもの自主性に任せて自由にしてもらっています。すると、クラスでの予習、復習する子もいれば遊んでいる子もいます。
その中でちょっとしたトラブルがありました。原因はほんの些細なことなのですが、往々にしてトラブルとはそんなものです。
一人の子が泣きながらもう一人の子に向かっていきます。向かわれかれた子もそれに対抗します。そう、子ども同士の喧嘩が始まりました。そんなとき自分は口出しをしません。勿論、大きな怪我をするような事や、後々まで遺恨が残るようなことはさせませんが、子ども同士の喧嘩は子どもで解決するのも必要だと考えています。そこで身に付ける物こそ実践的な社会性だとも思います。
さて、どうなったかと言いますと、年上で先輩の子が双方の言い分をしっかりと聞いて状況を判断してそれぞれに謝る理由を納得させ、仲直りをさせていました。
さすがっ!と思いました。いつも思うことですが、道場は忘れられた究極の異年齢集団で子どもたちにとって無くてはならない場所だと思っています。自分自身、子育て中なので思うことですが、公園で子ども同士のトラブルがあると必ず親同士で話し合われます。すると、子どもの問題を解決しようとする能力が育つのを阻害してしまいます。
子どもは子ども同士、時には喧嘩もしながら学ぶことの重要さについて大人はもっと考えていいと思います。勿論、大きな怪我や生命に関わることはあってはなりません。だからこそ、幼いうちのトラブルも大切な学びだと思います。そして大人が考える以上に子どもはしっかりと問題を解決します。こういう体験を幼いうちにすれば絶対に曲がってはいきません。
幸い道場という場は、子どもは気付いていないかもしれませんが、大人の目が行き届きながら子どもは気にせず、自由に体験できる場なのです。喧嘩ばかりとは言いませんが、時に争い、時に協力しあい、お互いに応援しあったり、時にはともに共感して泣いたり喜んだり感情を出しながら、感情をコントロールする訓練をするのも道場という場なのだと思います。そこで得た友情や絆がその子のその先の人生に大きく影響していくと思います。
今日の出来事は些細なことではあったかもしれませんが、当事者にしてみれば大きな出来事ですし、自分がいっさい口を出さなくも、子どもだけで解決できたのは本当に素晴らしかったです。一部始終を見ていましたが、最初は傍観者だったり、自分は関係ないとしていた子も最後には自然と話し合いのなかに入って自分の意見を言うことも出来ました。
この経験がきっと成長の糧になっていることでしょう。