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黒帯への道程

~昇段を望む道場生へ~

極真空手の黒帯といえば取得できる確立は入門者の数パーセントといわれ、以前であれば黒帯を取ると警察に登録しなければならない(ボクサーの拳と一緒で、その人物自体が一つの凶器とみなされる為)という噂もあったほどだ。また、海外で空手は東洋の神秘性を持ったものと見られており、中でも”ブラックベルト”への畏敬の念はただならぬものがあるとも聞いている。

「黒帯」。空手の一つの強さの象徴であろうその凛とした、どこまでも深みを持った帯。それゆえ多くの道場生がその頂を目指し、汗を流している。だがそんな一方で、昇段を試みる者の良からぬ噂を聞くのも確かだ。「金で買えるなら買いたい」と口にする者、黒帯になるためのポイント稼ぎをする者(本人が陰でそう口にしている)、取得した途端挨拶もなしにやめる者、黒帯を威張る為の道具にしているとしか思えない行動をする者、いかに技術や体力を誤魔化しながら審査を切り抜けるかに苦心する者、「長く空手をやっているからそろそろ受けよう」という浅はかな考えの者etc.・・・・・挙げていけばキリは無い。

そういう声を聞くたびに憤りを感じると共に、「あなたは極真の価値をおとしめるから辞めてください」と言いたくなる。ある指導員も「そんなに黒帯が欲しいなら、スポーツショップで買えばいいんだ」と半ば侮辱の念を込めて語っていたが、まさにそのとおりである。それに仮にそのような心構えの者が昇段したところで、他の道場生から当然尊敬などされないだろうし、結局恥をかくのは自分である。「裸の王様」もいいところではないか。

このような事態は避けるべく、この場を借りて改めて城西世田谷東支部の黒帯の基準、黒帯に求めるものを述べていきたい。会員の皆さんに支部の指針として再認識していただければと思う。

■黒帯の条件とは

現在、城西世田谷東支部で定めている黒帯の条件とは1.組手が強い

2.技が上手い

3.社会性がある

4.指導者としての技量がある

という4つの柱がベースとなる。そしてこの4つの条件を判断する為に、具体的には基本、移動、型、連続組手、体力、筆記等の審査、それに加えて10回以上の指導補助、2回以上の合宿参加、一定のレベル以上の試合にも4回以上出場する事等、多くの基準が設けられている。もちろん年齢や性別に応じて、多少は基準の強度が軽減される事はあるものの、基本的にはこれらの項目をクリアーできなければ昇段への道は閉ざされるのだ。

■受審者の在り方

ここで問題になってくる点がある。これは大変多いパターンなのだが、基準さえクリアーすれば黒帯になれる、或いは受審できるという発想に辿り着く者である。だが、厳密に言えばそれは間違いである。挙げた基準とはあくまで黒帯への最低必要条件であり、決して十分条件ではないからなのだ。では十分条件とは何か?それは具体的に書面化することは大変難しい。だが、あえて言うなら、抽象的な表現になるが、技、強さ、そして特に人格が優れている事である。絶えず向上心を持ち、周りから強さや人柄が認められ、TPOに応じた言動を実践できる、そういった要素が求められてくる。

そういう意味では黒帯とは自ら「受ける」と言うよりは、周りから「受けたら」と薦められて受審するものというのが、職員の一致した意見だ。「自分なら大丈夫だろう」という甘い主観に基づいた判断ではなく、他の人々から認められた客観的な判断が必要であり理想的だ。

■受審者の現状

だが残念ながら受審者の中には、自分を客観視できない人間が多いのも事実。「ここを直しなさい」(技術面、精神面、行動面等)と言われても直ってもいないのに受審しようとか、また言われた所はは直しているが他にも直す所があるのに、自らの力でそれを見つけようともしないし、きつい言い方をすれば見つける事ができない。独り善がりになっているのだ。こういう人に限って、スパーリングやミット稽古で相手の人と調和できない。自分のやりたいようにしかやらず(やれず?)、相手の求めていることを把握できない。目の前に相手がいるが、”いない”のである。松井章圭極真会館館長が「組手とは調和であり相手の主張を全く無視して、自分の主張ばかり押しつけるのは文字通り、『組手』ではないし、そこに技術や強さ、人間性の向上は無い」とよくおっしゃるが、その意味では空手であろうと一般社会であろうと、やらなければならないことは一緒であろう。

■黒帯を締めるという事

黒帯といえば、極真をある意味背負う立場にある。職場や学校を初めとする様々な社会的な場面においての言動が、本人の望む望まないにかかわらず極真会館の看板と結びついて判断されるのだ。人を傷つければ「極真は乱暴者の集まり」と見られるし、逆に礼儀正しければ「さすが武道家」と見られるのは今さら言うまでも無いだろう。そして黒帯になれば、極端な言い方をすれば、道場では誰からも注意をされなくなる。もう”大人”とみなされるからだ。だがそれは一方で、厳しい状況にもなっていく。自らで課題や目標を設定し、しかもそれが正しく的を得ていなければならず、更に実践し、結果を出していかなければならない。誰の力も借りず全て自力で行うという、真の意味で”大人”の人には、どこまでも自分を成長させることができる絶好の場である一方、ある特定の人々には、恐ろしく困難を伴う作業を行わなければならないのだ。

黒帯になれば、色帯の者にスパーリングや組手で負ける事は、基本的には許されない。尊敬の念をもたれて見られている分、技ができない、強くない、人としておかしい、それらはすぐに冷ややかな想いへと変化し、イコール黒帯の価値を落とすこととなる。だがそれは、どの世界においても人の上に立つものの宿命である。

■本質的な事

極真空手の黒帯とは、他流派を含めて空手をやっている者はもちろん、空手をしたことがない者にさえ、一目置かれるほどの輝きを今でも放っている。そのバックボーンには故大山倍達総裁の超人伝説があり、劇画「空手バカ一代」での極真最強神話があり、今の格闘技ブームの先駆的役割を担ってきたという、他流派にはない自信と誇りがあるからだ。そういう意味では道場生が黒帯を取りたい気持ちは痛いほど分かる。が、現時点での自分の力量に目をつぶって黒帯になるという、小さく狭い了見のままでいることは本末転倒ではないか。あくまでも自分の「強さ」や人間性の向上が目的であって、その結果としてたまたま黒帯があるのではないか。黒帯を持っているから「強い」わけでも、「優れている」わけでもない。それは、一流の大学や会社にいるから人格が素晴らしいわけではないし、良い資格を持っているからといって仕事ができるわけではないのと一緒だ。全てはその人の在り方や、生き方が問われるのであって、誤解を恐れずに言えば、帯の色に振り回されている時点で、その人はまだ何かが足りないという事の一つの証なのではないか。
またその延長線上にあるのだが、帯の色だけではなく「あいつが受かって、何で俺が落ちるんだ」「私のほうがあの人より・・・」等と、他人に振り回されるケースもよく目にする。ひがみや妬みは誰でも多かれ少なかれ持っているものだが、自分を客観視する大切さと共に、人に振り回されない己を築いていく事の重要性に気付いてもらいたい。他人が上に行こうが下に行こうが、本人の実力や価値は何も変わらない。ならば他人など関係ないではないか。「失敗したときにこそ、その人の人格が問われる」とはよく言うが、言い訳や他人の中傷に走るのではなく、駄目な時こそ己を研磨する事に励める自分を創っていきたい。

■最後に

以上、道場生には耳の痛い話で、不快な思いをした人も少なくないだろう。だがこれも、世田谷東支部側が極真を愛すればこそ、「せたひが」がより良く発展することを願えばこその話と、寛容に受け入れてもらえば幸いである。指導員側も審査で受審者を落とすと言うことは極力避けたい。本人の失望する姿を見れば良心が痛むし、人に不合格の烙印を押すのは決して気持ちの良いものではない。それ故、審査の合否には一審査員の単独の見解だけではなく、複数の指導員からの多角的な意見を求め、合議制の上で決定を下している。また、支部側としてもまだまだ至らない所は多くあるものの、毎週の職員指導技術研修をはじめ数多くのミーティングの場で、審査に関しても議論する場を設けている。そこで肝胆相照らしながら、より良い世田谷東支部の在り方を模索し続けている。「これで本当に良いのだろうか」と。

だからこそ、昇段を考える前にもう一度自分の胸に聞いて欲しい。「自分は黒帯に本当にふさわしいのか」という事を。